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栄えるものは久しからず の話。

最近、ずっと同じ違和感がある。

株価は高い。
数字は派手。
でも、身体感覚として「これは長くないな」と思ってしまう。

別に悲観しているわけでも、怒っているわけでもない。
ただ、歴史の匂いがする。

文明って、だいたい同じ道をたどる。

最初は、
作る。
運ぶ。
直す。
守る。

生きるために必要なことが、社会の中心にある。

そのうちは栄える。
余裕が生まれる。
管理が必要になる。
記録や信用やお金が重要になる。

ここまでは、どの文明も同じ。

問題はここから。

いつの間にか、
作る人より、管理する人が偉くなる。
運ぶ人より、評価する人が偉くなる。
働く人より、数字を動かす人が偉くなる。

金融や制度や権力という「道具」が、
主役に入れ替わる。

便利で、速くて、効率がいい。
でも、それ自体は何も生まない。

今の日本を見ていると、
「病人だけど、元気な部分だけ酷使している」
そんな感じがする。

全身は動かない。
でも指だけは動く。
だから金融のボタンだけを必死に押し続ける。

株価は上がる。
円安で数字は映える。
でも生活は楽にならない。

このズレが、ずっと気持ち悪い。

簡単な例で言うと、こうだ。

トラックを買った。

① トラックを使って荷物を運ぶ。利益率5%
② トラックを使わず、転売して利益を取る。利益率20%

合理的なのは②。
賢いのも②。

でも、②ばかり増えた社会で、
誰が荷物を運ぶのか。

これ、どこかで見た構図だと思ったら、
平家物語だった。

勝っている間は、
派手で、効率がよくて、賢く見える方が正解になる。

でも最後に残るのは、
ちゃんと船を操れる人。
ちゃんと戦える人。
ちゃんと現場に戻れる人。

祇園精舎の鐘の音は、
「悪いことをしたから滅びる」とは言っていない。

ただ、
そうなった
と言っているだけだ。

金融が悪いわけじゃない。
便利な道具だし、必要でもある。

ただ、
金融でしか稼げないと思い込む空気は、
確実に身体を弱らせる。

リハビリせずに、点滴だけ増やしている感じがする。

「働いて働いて働いて」

それは綺麗な言葉じゃないし、
今の時代には嫌われる。

でも正直、
みんなで金融ゲームをやるより、
みんなでちゃんと働く方が、よっぽど現実的だと思っている。

言えないけど。
たぶん、言ったら嫌われるから。

栄えるものは久しからず。

メソポタミアも、
ローマも、
平家も、
たぶん今も。

それでも、

わかっていて①をやめない人、
数字より身体感覚を信じている人、
地味な仕事を続けている人。

そういう人が、
次の時代をつくる側なんだと思う。

たぶん。