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ノンオイディプス式・経営術

〜ほどほどの正義で、会社は回っている〜
ドラマ『テミスの不確かな法廷』を見ていて、
ふと、オイディプス王の話を思い出した。
正義を信じ、
真実を追い、
判断する立場に立った人間が、
最後は自分自身を壊してしまう話。
神話の世界の出来事だけど、
これ、わりと現実でも見る構図だなと思う。
裁判も、組織も、会社も、
そしてたぶん、家庭も。
世界は「ほどほどの正義」で回っている
裁判にはルールがある。
会社にもルールがある。
どれもそれなりに立派だ。
でも冷静に見ると、
それらはすべてほどほどの正義だ。
完璧ではない。
万能でもない。
人が運用する以上、必ず歪む。
それなのに、
ときどき「全部白黒つけなきゃ」と思ってしまう。
「最後まで正しさを貫かなきゃ」と思ってしまう。
オイディプスみたいに。
正義をやり切ると、だいたい続かない
正義感が強い人ほど、
判断力のある人ほど、
責任感の強い人ほど、
全部を背負おうとする。
・全部知ろうとする
・全部決めようとする
・全部自分で引き受けようとする
結果、
一番しんどくなるのは、だいたいその人自身だ。
経営でも、
これは珍しい話じゃない。
ノンオイディプス式という考え方
だから最近は、
勝手にこう呼んでいる。
ノンオイディプス式・経営術。
正義を最後までやり切らない。
白黒をつけすぎない。
判断を、ほどほどで止める。
それは逃げでも妥協でもなく、
続けるための技術だと思っている。
ノンオイディプス式・経営の中身
白黒をつけない。
問題は、解決しなくてもいい。
「一旦ここまで」で止めて、
グレーのまま置いておく。
ルールは、縛るためじゃなく戻るため。
迷ったときの目印であって、
罰を与える道具じゃない。
社長は裁かない。
裁くと孤立する。
聞くと情報が集まる。
黙ると、場が落ち着く。
正義より、回復。
誰が悪いかより、
どう戻れるか。
どう続けられるか。
そして、
社長自身もほどほどでいい。
完璧じゃなくていい。
全部わからなくていい。
全部決めなくてもいい。
ほどほどは、弱さじゃない
「ほどほど」という言葉は、
手抜きや妥協に聞こえるかもしれない。
でも実際は逆で、
ほどほどにしておくから、
・修正できる
・戻ってこれる
・やり直せる
経営は、
勝つゲームじゃなくて、
続けるゲームだ。
最後に
ほどほどの正義で回っている世界で、
一人だけ全力の正義をやると、
だいたい浮く。
そして、
だいたい先に疲れる。
だから僕は、
ノンオイディプスで行こうと思う。
正義はほどほど。
判断もほどほど。
会社も、自分も、ほどほど。
それでも会社が回っているなら、
それはもう、
ちゃんとした経営なんじゃないかと思っている。