日本人の本質・・・

今朝、ふと思ったことがありまして・・・
北海道という土地。
若い頃は「雄大で爽やかな場所」として憧れを抱いていました。
広い空、まっすぐな道、風に揺れる牧草地。
でも最近、その景色の向こうに、何とも言えない「寂しさ」や「厳しさ」を感じるようになってきました。
それはただの自然の厳しさではなくて、
「人間が残してきたものの痕跡」が、土地に沈殿しているような寂しさです。
たとえば、未完成のトンネルや使われなくなった鉄道。
しゅうぱろダムの“掘っただけ”で放置されたトンネル(画像がそれ)
日高横断道路の未成道(見に行きたいけど・・・)
それらは、「やろうとしたけど難しかった」だけで終わらされた場所。
でも、そこに実際に動いた人がいて、費やされた時間があり、
そして何より、「責任」というものが、いつの間にか消えている。
まるで戦場に置き去りにされた錆びた戦車のように、
誰にも弔われず、自然に還りきることもできず、
そこに“忘れられたもの”として存在している。
僕は、そういう風景を見るたびに、
「ああ、これが“日本人の無責任さ”の形なんだな」と思ってしまう。
冷たく聞こえるかもしれないけど、
開拓や開発の名のもとに動かされてきた“無数の命”(タコ部屋と言われる場所に連れていかれた人たち)に対して、僕たちは本当に敬意を持っているだろうか?
国の計画は変わる。予算も変わる。状況も変わる。
でも、土地に刻まれた痕跡はずっとそこに残る。
それを見ないふりをする“上手さ”こそ、日本人の残酷さなのかもしれない。
今の僕は、たぶん“平和ボケ”してるんだと思います。
犬と一緒に散歩して、好きなワインを飲んで、自由に語れる環境がある。
でも、**その平和が「過去の犠牲の上にある」ことを、ちゃんと見てるか?**と問われたら……
正直、目を背けたくなる瞬間もあります。
だから、北海道にはまた行きたいなあと・・・
ただの観光じゃなく、あの“取り残されたものたち”にちゃんと会いに行きたい。
それが“何かを変える”ことにはならなくても、
せめて、“誰かが覚えている”という事実になるのなら——
僕はそこに行く意味があると思うんです。
もしかすると僕たちは、
「未来のために動く」だけじゃなくて、
「過去に置き去りにされたものと、向き合う責任」もあるのかもしれません。
そんなことを、ふと思いました。