遠くで発生した戦争に関して思う事・・・

公園の上から見下ろす奈良の風景は、今日もどこかのどかで、どこか切ない。
遠くには三輪山、手前には街の屋根と道。そんな景色をぼんやり眺めながら、どうにも気持ちが晴れない朝がある。
ニュースを見れば、また戦争。
爆撃の音、炎、泣く子どもたち。
そしてそれを命じたのは、若者ではない。
立派な肩書きを持つ、年齢を重ねた「はずの」指導者たち。
失敗の本質は、もう何十年も前に書かれていたのに。
それでも人は変われない。いや、変わろうとしないのかもしれない。
僕は思うんです。
高学歴で、たしかに一時的な成果を出す人は多い。
けれど、それが社会全体の幸せや持続性に繋がっているかと言えば…どうだろうか。
派手な功績を持ち上げ、ゲームチェンジャーと讃える。
テレビに出て、有名になって、それで“上がり”。
でもその後、社会は本当に変わったのか?
誰が道を直し、水を守り、物流を支えているのか?
インフラの維持や、地味な基礎研究、現場の安全確認――
本当に大切なところに、ちゃんと光が届いているのか。
僕には、そうは思えない。
耳障りのいいスローガン。
高齢者向け政策ばかりに偏る予算。
そして、矛盾だらけの法整備。
この国はどこに向かっているんだろうと、時々、本当に嫌になる。
けれど、それでも――
それでも、僕たちは生きていかないといけない。
誰かのせいにして終わらせるのではなく、
せめて、自分の周りの半径数メートルくらいは、誠実に、丁寧に。
今日も運転手さんたちが汗をかいて走ってくれている。
誰にも注目されなくても、トク(犬)が僕を見上げてくれる。
草を刈るとき、刈られた虫に思いを馳せられる自分がいる。
たぶん、そういう感覚を持ち続けることが、
人間として生きていく上で、何より大切な“基盤”なんじゃないかと思う。
公園では、今日も風が吹いています。
僕はその風に少しだけ、逆らわずに、立ち止まりながら、考えていようと思います。