お金の価値について・・・

「持続することは、負けじゃない」――お金と成長と“ほんとうの価値”について
なんだかずっと、頭のどこかでモヤモヤと考え続けているテーマがあります。
それは、“お金の価値”や“社会の仕組み”のこと。
「いずれ貨幣の価値がなくなるかもしれない」という感覚です。
GDPは昔よりずっと大きくなっているのに、
なぜ“成長しない30年”と呼ばれるのか。
なぜ人々は“豊かさ”を実感できていないのか。
それってつまり、
**「お金の世界だけが膨らんで、実体のある生活や仕組みはそんなに変わっていない」**ということじゃないかと。
“必要なもの”や“人間らしい営み”は、昔からそんなに増えてない。
増えたのは、“見せかけの数字”と“競争の構造”だけなんじゃないかと思うんです。
たとえば、田舎の漁村が100年間変わらずに魚を獲って生活していたとしたら、
それは「成長していない村」なんかじゃなく、
**「持続可能な経済圏」**なんですよね。
でも今の社会は、「変わらない」ことを「停滞」や「敗北」と見なしてしまう。
「稼いで」「増やして」「勝ち残れ」と、成長だけを善とする風潮。
SNSを開けば、成功者のような人たちが、腕を組んで「勝ち方」を語っている。
でも、よく見ると、その人たちが作っているのは“社会に必要な仕組み”ではなく、
ただの“お金を増やすゲームの勝ちパターン”だったりする。
たまたまそのルールの中でうまく立ち回れた人が、
あたかも人生の勝者かのように語り、
それに群がる人たちがさらに“煽られる”。
なんだか、それってちょっと違うなあと思うのです。
選挙だってそう。
「みんなに権利がある」という民主主義の大前提は大切だと思いつつ、
“考えない人”でも、影響力のある人の言葉に踊らされて票を入れてしまえる。
“誠実な人”より、“うまく煽れる人”の方が選ばれてしまうという現実もある。
それって、ちゃんと考えようとしてる人からすれば、すごく虚しくなる構造ですよね。
じゃあ、どう生きるのか?
僕はやっぱり、「持続できること」が一番だと思っています。
派手じゃなくてもいい。
人から目立たなくてもいい。
ちゃんと人と関わって、
ちゃんと汗をかいて、
ちゃんと自分でハンドルを握って生きていけること。
それが、“負けないこと”の本当の意味なんじゃないかと。
「成長すること」ばかりが正義じゃない。
「続けられること」は、決して“あきらめた結果”なんかじゃない。
そんなことを、今の社会が思い出せたらいいなと思います。
そして、僕自身も時々忘れそうになるので、こうして書いて、整えておきたいのです。
もし、誰かの心に少しでも引っかかるなら、
それで十分です。