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GDP1000兆円?

最近の参議院選挙で、「GDPを1000兆円にする!」というスローガンを掲げている候補者を見かけました。正直、唖然としました。これから本格的に人口が減り、高齢化もますます進んでいくこの国で、一体どうやってそんな数字を達成するというのでしょう。インフレを無理に加速させるのか、突然なにか爆発的な産業が生まれるとでも?それとも、まるで第二次世界大戦中のような「根性論」や精神論に再び頼るつもりなのか。そんな疑問が頭をよぎりました。

僕がずっと思っているのは、人生ってそんなに劇的には変わらないということです。国の政策だって本来はそうあるべきで、現実をしっかり踏まえて、地に足のついた改善を積み重ねていくことが大事だと思うんです。でも政治の世界では、なぜかいつも「夢のある話」や「爆発的成長」が優先されてしまう。理想やビジョンを語ること自体は悪いことじゃないけれど、それが現実から乖離していたら、もはや幻想でしかありません。

では、なぜそんな非現実的なことが堂々と語られるのか。理由はシンプルです。耳ざわりのいいビジョンは、現実の厳しさよりも受け入れられやすいから。痛みを伴う改革には、誰だって目を背けたくなる。さらに、今の日本には「外からの変化」――たとえばAI、再エネ、スタートアップといったものにすべてを託すような幻想もあります。でも、本質的な問題はずっと手つかずのままです。

そして、これは政治家だけの問題ではなく、僕自身も含めて、多くの日本人が「なんとかなるだろう」と思っているところに根があると思います。戦後、日本はアメリカに追従していれば経済は良くなる、という時代が長く続きました。その結果として、「自分の頭で考え、行動する」文化や感覚がどこかで薄れてしまったのかもしれません。いわゆる平和ボケのツケとも言えるでしょう。

じゃあ、いま本当に必要なものって何なんでしょうか。僕は、GDPの数字ではなく、暮らしの実感や可処分所得の安定だと思っています。爆発的な成長よりも、縮小の時代にしなやかに耐える仕組みづくり。分断ではなく、支え合える社会の仕組み。そんな地味だけど本質的なことが、これからの日本には必要なんじゃないでしょうか。

ちなみに、GDP1000兆円という数字を実現しようとするなら、1人あたりのGDPが今の3〜4倍になる必要があります。しかも、労働人口は減っていくわけですから、現実的に考えてもはや「無理」です。それでも、実現性よりインパクトを優先してしまうのが、今の政治の現実なのかもしれません。

だからこそ、僕は思うのです。日本にいま必要なのは、「夢」ではなく「冷静な現実感覚」。それを支えるのは、政治家だけでなく、僕たち一人ひとりの目線と判断力なんだと思います。