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なんでこんなに“誰かになりたがってきた”んだろう

なんでこんなに“誰かになりたがってきた”んだろう。
ふと思うことがある。

前にも言ったかもしれないけど、やっぱり心のどこかで、
成功者とか、日の当たる場所をキラキラと歩いてる人に、なりたかったんだと思う。
人間性が違っても、人格が違っても、そんなことは関係なく。

でも冷静に考えたら、なれるわけがないんですよ。
違いすぎる。
ただ、それでも“あ、似てるかも”と思わせてくる瞬間があるから厄介なんです。

例えば、大谷翔平くんを見て「俺も高卒で野球やってたし」って、ほんのミクロンの共通点にバイアスがかかる。
桑田佳祐さんを見て「俺って意外とスケベだし」とか思ってみたり。
…いや、それ誰でもあるやつやん、って話なんですけどね(笑)

そんなふうに“親近感という錯覚”を持った時に、「自分も、もしかして…」と、錯覚が始まる。
でも当然、その人たちと僕の間には、圧倒的な才能と努力の差がある。
月とスッポン。比較すること自体、おこがましい。

僕ね、人の性格って100個くらいの要素に分けられていて、その中の上位10個くらいが“その人らしさ”なんじゃないかなって、ふと思ったことがあるんです。
だから、誰とでもどこか1つや2つは共通点がある。
それがあった瞬間、「あ、自分も同じかも」って思ってしまう。

…わかってるんですよ。
でも、なりたがるんですよね。誰かに。

周りを見渡しても、その人はその人として亡くなっていき、
誰かの代わりにはならず、みんな“その人の人生”を終えていく。
人生って、そんなに大逆転ばかりじゃないし、
勝ちの逆転もあれば、負けの逆転もある。

僕は、都合のいい方ばっかり見て、勝手に“自分にも可能性があるかも”と想像しすぎてるのかもしれません。

本当は、自分が自分として生きていいんだと認められれば、それで済む話なんです。
でも今の時代、どうでもいい情報があまりにも溢れすぎていて、
それをちゃんと“精査する能力”が、自分にはまだ足りていない気がします。

だからこそAIがあるのかな、なんて思ったりもします。
人間がもう処理できない情報を、AIが整理してくれる。
“自分は何を見ればいいのか”っていうところから、手伝ってくれる。

話は逸れましたが、
“誰かになりたい”って気持ちは、決して悪いことじゃないと思います。
でも結局、僕にできることって、自分の足元を一歩踏み出すことだけなんですよね。

「自分はこの程度」って思いたくないから、“誰か”になろうとするのかもしれないけど、
やっぱり、“自分として出来ること”を積み重ねるしかないんでしょうね。