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公平とは何か?加害者と被害者を「5対5」で扱うことの違和感

最近の裁判を見ていて、強い違和感を覚えることがあります。
自身の会社で起こっている事故事例などの裁判を見ても思う事があります。

それは「加害者と被害者を、あたかも5対5で並べて扱う」ような感覚です。

確かに、法律は公平でなければならない。
そのため、加害者の権利も守られるし、人間としての尊厳も配慮されます。
しかし、そこで本当に「公平」が成り立っているのでしょうか。


失われた命と、生きている加害者

被害者はすでに命を奪われ、人生を絶たれています。
どんなに裁判をしても、その命は戻りません。
一方で加害者は、罪を犯した後でも生きていて、裁きを受ける機会を持っています。

同じ「人権」と言っても、この時点で立っている場所はまったく違うのです。
ゼロにされた被害者と、まだマイナスから生きている加害者。
この非対称な関係を「5対5」と並べることは、本当に公平でしょうか。


公平の錯覚

法律が守ろうとする「公平」は、形式的な公平です。
天秤に乗せて同じ比重で扱うこと。
しかし、命や生活を奪われた被害者にとって、その天秤はすでに壊れている。

本来あるべきは「命の重み」を踏まえた実質的な公平。
それを欠いたとき、裁判は加害者寄りにしか見えなくなります。
「加害者にも人権がある」という言葉は当然のはずなのに、
被害者の人権がすでに失われた現実の前では、虚しく響いてしまうのです。


本当に問うべきこと

公平とは誰のためのものか?
人権とは、奪われた命にはどう及ぶのか?
この問いを避け続ける限り、司法は「冷たい」と感じられ続けるでしょう。

被害者と加害者を「5対5」で扱うことを公平と呼んでしまうのは、
公平に見せかけた不公平なのではないでしょうか。