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利他主義って、どうなったのかな?

最近よく思うんですけど・・・

社会や世間のルールというのは時代ごとに変わるけれど、人間そのものはまったく変わらないなあと。

良く思われたい、損したくない、誰かに認められたい・・・そんな欲は昔からずっと続いていて、結局は同じことを形を変えて繰り返しているんだなぁと。

少し前までは、SNSに踊らされている人たちが多かったように思うんですが、最近はどこかでその空気が変わってきていて、皆が「踊らされる」のではなく、ちゃんと主体的に向き合い始めているように見えたりしているんです。

ようやく「モノとして使いこなし始めた」という感じと言えばいいのか、人間の側に主導権が戻りつつあるような、そんな流れを感じたりしています。

その中で久しぶりに「利他主義」という言葉を思い出したんですが、コロナ禍にはあれだけ聞いたこの言葉・・・最近はあまり耳にしなくなりました。

おや?

歴史の中で利他が満ちた時代ってあったのか?、とみていくと、国全体が利他で満ちた時代なんて実はほとんど無いに等しいですね。

ただし“利他が一気に強くなった瞬間”は何度もありました。

阪神淡路大震災や東日本大震災にコロナ禍などの大災害のあとに自然と生まれる助け合い、戦乱のあとの互助。

鎌倉仏教や江戸の「三方よし」のように、「弱い者を救う」思想が広まった時代。

戦後復興期の「みんなで豊かになろう」という連帯感など。

利他というのは、歴史の中で何度も消えかけながら、何度も立ち上がり直してきたような感じなんですよね(個人的な見解ですが)

今のAIやSNSを見ていても、その歴史のパターンとどこか似ている気がします。
テクノロジーが登場した直後は、どうしても人が振り回される。承認欲求や比較で心がざわついたり。でもひと回りして落ち着いたとき、人はそれを「道具」として握り直す。この数年で、ちょうどその段階に入ってきたように感じるんです。

もしかしたら利他がまた静かに戻ってくる時代が来るのかなあ・・・などと期待してみたり。

結局、利己も利他も人の中にずっと混ざっていて、余裕があると利他が出て、余裕がなくなると利己が出るだけのことなんでしょうけど、AIやSNSがその「余白」を取り戻す役目を果たすなら、昔のような助け合いとは違う、新しい形の利他主義が広がる未来も十分ありえるのかな?なんて・・・

人って色々な転換期のあとに、必ず「人間らしさ」を取り戻す瞬間があるような気がするので、もしかしたら今はちょうどその反転の入口にいるのかなあ・・・などと。

とはいえ、色々と考えても仕方なく、ボチボチ自分のペースで生きていけばいいんだろうなと思ったりしています。