-2025年
日本人の本質

早朝、散歩しながらふと考えた。
日本人って、海外から見ると
「勤勉」「真面目」「規律正しい」
なんて言われることが多い。
でも一方で、
結構“短絡的”な国民性でもあるんじゃないか
と思うことがある。
右肩上がりじゃないとダメ。
終身雇用じゃないとダメ。
上の人の意見は絶対。
その割に、
「なぜそうなっているのか」
「どういう仕組みで成り立っているのか」
を理解しようとする人は、意外と少ない。
一度もらったら、それは“永遠の権利”?
給料も、制度も、待遇も。
一度得たら
「それは当然」「下げるなんてありえない」
という空気になる。
企業側からすると、
一度上げたら下げられない
だったら最初から上げない方が安全
という判断になるのも、
ある意味では自然だと思う。
これを
「企業が悪い」「経営者がケチ」
と切り捨てるのは簡単だけど、
構造を見ないまま怒っても何も変わらない。
上の指示は絶対。でも責任はどこへ?
日本の組織を見ていると、
- 判断は上
- 実行は下
- 失敗の責任は曖昧
という場面をよく見かける。
指示には従うけど、
自分で決めた感覚はない。
だから
「自分がこの構造を支えている」
という意識も薄くなりがち。
国も会社も、
まるで山や川みたいに
そこに“自然にあるもの”
だと思っている節がある。
2024年問題は、突然起きたわけじゃない
物流の2024年問題もそう。
人が足りない。
時間が足りない。
コストが合わない。
でもこれは
制度のミスでも
現場の怠慢でもなく、
「仕組みを理解しないまま回してきたツケ」
が表に出てきただけ。
安くて、早くて、当たり前。
それを
「誰かが何とかしてくれる」
前提で続けてきた。
その“誰か”が、
もう限界なだけ。
形式は壊れる。でも上っ面の形式にはしがみつく
本来大切なはずの、
- 役割
- 責任
- 判断構造
は崩れていく一方なのに、
- 会議
- ルールの言葉尻
- 「一応やりました感」
みたいな
上っ面の形式だけは、
なぜか大事にされ続ける。
構造を理解すると、
自分の立ち位置がはっきりしてしまう。
だから
見ない。
考えない。
触れない。
もう正直、面倒くさい(笑)
ここまで考えていて、
最近よく思う。
この構造の中で生きるの、
正直ちょっと面倒くさい。
怒る気もないし、
変えようと叫ぶ気もない。
ただ、
飲み込まれたくもない。
だから距離を取る。
静かに考える。
必要な分だけ関わる。
それだけ。
最後に
日本はたぶん、
「理解しなくても回る前提」で作られた社会が、
「理解しないと回らない局面」に入った。
でも多くの人は、
まだ前提の方を信じている。
それを
どう思うかは人それぞれ。
僕はただ、
暗い道を歩きながら・・・
そんなことを考えていただけです(笑)