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雑音を聞き分けていた時代の話

昔って、今みたいに何もかもがハッキリしていなかった。

電灯はぼやっとしていたし、
街灯はパチパチと息をしていた。
テレビはUHFのダイヤルをガリガリ回して、
大分の田舎では、画面にうっすらハングル文字が映ったりもした(笑)

ラジオも同じで、
雑音の中から、聞きたい声を拾い上げていた。

電波を合わせるのに、
アンテナを伸ばして、
角度を変えて、
ときにはハンガーを引っ掛けて電線を繋いだりして。

でも、不便だとは思わなかった。
それが当たり前やった。


効率とか、便利さって、
こういう面倒くささを一度経験した上で
初めて意味を持つものなんやと思う。

昔、23歳のときにインドにいたことがある。
そのとき、現地の人からこんな話を聞いた。

「君たち日本人は、
電話 → FAX → パソコン → 携帯電話
という進化を全部見てきている。

だから扱い方を知っている。

でも私たちは、
何もないところから
いきなり携帯電話が来た。

そうすると、
情報が一気にあふれて、
選別が出来なくなる」

下世話な話として、
アダルトビデオの話なんかもしていた。

刺激だけが、
何の準備もないまま
突然流れ込んでくる。

それは便利やけど、
人間の感情や想像力が
追いつかない。


昔のラジオは、
雑音だらけやった。

でも、
雑音があるからこそ、
「これは聞きたい」
「これはいらない」
って、自分で選んでいた。

今は、
全部がクリアで、
全部が届く。

でもその分、
聞き分ける力は
使わなくなった気がする。

雑音を排除することと、
雑音を無視できることは、
たぶん別や。


ハッキリしなかった時代。
不完全だった時代。

でも、
あの頃はあの頃で、
ちゃんと生きるための
感覚を育てていたんやと思う。

雑音の中から、
自分にとって大事なものを
拾い上げる力。

今の時代にこそ、
本当は必要な力なのかもしれない。