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どうでもいい話
他人の正義はそこまで自分に関係ないような

最近ふと思うことがある。
週刊誌やSNSを見ていると、
世の中全体が「誰かを見張る側」に回っていないか、ということだ。
本来、オイディプスの物語って
「他人が正しいかどうか」を裁く話じゃない。
自分は正しいと思い込んでいないか。
自分は何を見ないふりをしているのか。
そこを問い続けた末に、
「原因は自分だった」と引き受けてしまう話だ。
ところが今の社会では、
この問いがずいぶん都合よく使われている気がする。
「この人、何か隠してない?」
「本当は悪いことしてたんじゃない?」
「ほら、やっぱり叩かれてる」
——正しいかどうかは、盛り上がり次第。
自分が正しいかどうかを考える代わりに、
誰かを正しいか・間違っているかに並べる。
それを週刊誌が火をつけ、
SNSが燃料を足し、
一般人が裁判官をやっている。
国家が監視しているというより、
みんなが、みんなを監視する役を内面化した社会。
一億総監視社会、というやつだ。
怖いのは、
裁いている側にいるときは「正義」で、
いつ被告になるかは誰にも分からないところ。
だから人は、
黙るか、迎合するか、
過剰に「私は正しいですよ」とアピールする。
でもそれって、
オイディプスから一番遠い態度じゃないだろうか。
オイディプスは、
他人を暴くための物語じゃない。
自分から目を逸らさないための物語だ。
だから最近は、
あまり裁かないことにしている。
読まない自由、判断しない自由、参加しない自由。
正しさを振り回すより、
ほどほどで生きる方が、たぶん誠実だ。
会社も人生も、
ノンオイディプス式でいい。