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最近、ここに書くことがない

最近、書きたい事がないなぁと感じている。
世の中では毎日のように色々な出来事が起きている。
政治も経済も、技術も社会も、話題に困ることはない。
興味がない訳でもないし、理解できない訳でもない。
でも、不思議と「書き留めておきたい」という衝動が湧かない。
昔は違った。
人の言葉や行動、会社の出来事、将来への不安や焦り。
そういうものに心が引っかかり、それを言葉にすることで、自分を整理していた。
今は、多くの出来事を見ても、心のどこかで
「まあ、そういうものだよな」
という感覚に収束してしまう。
人間には多様性がある。
責任感が強い人もいれば、そうでない人もいる。
頑張れる人もいれば、頑張れない人もいる。
優しい人もいれば、冷たい人もいる。
以前は、その違いに意味を求めていた。
なぜそうなるのか。
どうすれば変わるのか。
でも今は、その違いそのものが、人間の自然な姿なんだろうと思えてしまう。
数学でいう「極限(リミット)」に近い感覚なのかもしれない。
ある値に限りなく近づいていくけれど、完全に一致することはない。
人を理解しようとすればするほど、「完全には理解できない」という地点に近づいていく。
そして、その地点に近づいたとき、
多くの出来事は「例外」ではなく、
「分布の中の一つ」に見えるようになる。
社長という立場にいると、その感覚はより強くなる。
社員一人ひとりの価値観や行動を、正解・不正解ではなく、
「特性」として見るようになるからだ。
怒る理由も減る。
期待しすぎることも減る。
その代わり、感情が大きく揺れることも減っていく。
でも、それは空虚というより、穏やかさに近い。
嵐の海を渡り続けたあとに、凪の海に出たような感覚。
波は穏やかになったけれど、
その分、どこへ向かっているのかが分かりにくくなる。
書きたいことがないという状態は、
感情が消えたのではなく、
感情の振れ幅が小さくなっただけなのかもしれない。
グラフで言えば、昔は大きく上下していた線が、
少しずつ収束していくようなイメージだ。
止まっているわけではない。
ただ、静かに近づいているだけ。
そして、おそらく人は、この凪の時間の中でしか見えないものがある。
焦りや怒りの中では見えなかった、小さな変化。
外の出来事ではなく、自分の内側でゆっくり動いている何か。
今は、何かを書き出す時間ではなく、
次に書くために沈殿している時間なのかもしれない。
そう思うと、この「何も引っかからない感覚」も、
悪くない気がしている。