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書くことがないと言いながら

最近、久しぶりに微分をやってみた。
きっかけは単純で、「頭を整えるために、計算問題でもやってみるか」という軽い気持ちだった。
ところが、やってみてすぐに思った。
「あれ……これ、僕ずっと分かってなかったんじゃないか?」
—
学生の頃も、微分は一応やっていた。
公式も覚えていたし、問題もそれなりに解いていた。
でも、正直に言うと、やっていたのはほぼ「型」だったことに気付いた。
この形ならこうする。
カッコがあれば外を微分して中を掛ける。
そんな手順を、意味を深く考えずに動かしていただけだった。
問題は解ける。
でも、それはどこか「作業」に近かったんじゃないかと。
—
今回、改めて微分を触ってみて、少しだけ感覚が変わった。
微分って結局、
「ほんの少しだけ原因を動かしたとき、結果がどれくらい動くか」
を見るものなんじゃないの?
それだけの話なのに、
今までずっと「計算の技術」だと思っていまして・・・
—
例えば、ある式で
「中身が変わると、外側も変わる」
という構造があるんです。
すると変化は、一箇所だけじゃなくて連鎖して広がる。
だから微分では、
外と中の影響を掛け合わせている。
昔はそれを「チェーンルール」として覚えていたけど、
本当は単に
「変化がどう伝わるか」
を書いているだけだった。
—
そして、ここでさらに驚いたのが「偏微分」。
普通の微分は、一本道の坂を登っている感じに近い。
今立っている場所で、
前に一歩進んだらどれくらい傾いているかを見る。
それが微分。(小さな公園にあるような一本の滑り台)
—
でも現実は、一本道じゃない。
丘の上に立っているようなものだ。(大きな公園の扇形に滑れる場所がある滑り台的な)
東にも進めるし、
北にも進める。
つまり、原因は一つじゃない。
売上だけで会社が動くわけじゃないし、
努力だけで結果が決まるわけでもない。
必ず複数の要素が絡み合っている。
—
偏微分は、その複雑さをほどくためにある。
「この要素だけ動かしたらどうなるか」
それを一つずつ見ているだけだった。
—
さらに面白いことに気づいた。
現実って、好き勝手には動けない。
人員も限界があるし、
時間にも制約があるし、
会社には守らなければいけないルールがある。
その中で一番良いバランスを探す。
数学では、それを「ラグランジュ」という方法で扱うらしい。
学生の頃は、本当に意味わからずにやっていた記憶しかない。(よくそれで出来たよなと自分でも思う・・・出来てないのかも)
でも今思えば、やっていることはすごく人間くさいんですよ。
「自由じゃない世界で、どうやって一番いい場所を探すか」
それだけの話だったと。
—
今回気づいたのは、
自分が微分を理解していなかったわけじゃなく、
「理解する前に、解き方だけ覚えていた」
ということだった。
これ、数学だけじゃなくて、
仕事でも人生でも、よくある話だと思う。
—
まだ自由自在に計算できるわけではない。(当たり前)
でも、数字の裏にある「動き」を
少しだけ感じられるようになった気がする。
正直に言うと――
「今頃わかったわ…」
という感じだけど、
それでも、
分からないまま終わるよりは、ずっと面白いかなと。
書くことないと言いながらも、そんな話。