「動物愛護」という言葉に思う事

最近、「動物愛護」という言葉を目にする機会が増えました。
でも正直なところ、僕はその言葉を見たり聞いたりすると、どこかホッとするよりも、逆に心がざわついたりします。
たぶんそれは、普通に動物と暮らしている人にとって、「愛護する」なんてあえて言わなくても当たり前のことなので。
たとえば、「僕、自分の犬を愛護してるんですよねー」なんて言う人、聞いたことないですし(笑)
むしろ、「守らなければならない状況があるから」こそ、わざわざ“愛護”という言葉が使われるのかもしれません。
世の中には、残念ながら動物だけじゃなく、人間同士でもいじめや迫害、虐待が存在します。
それが「無い」世界ではないということは、重々分かっているつもりです。
ただ、僕がそういうニュースや現実に触れるたびに、ついしてしまうのが「自分がその立場だったら…」という想像です。
もし自分が、
・虐待されている犬だったら?
・誰にも助けを求められない子どもだったら?
・ただ“生き延びること”だけが目的になっている存在だったら?
そんな想像をするたび、昔読んだ『夜と霧』という本を思い出すのです。
あの本には、“極限状態にある人間”の姿が描かれていました。
普段、僕たちは「自分らしく生きたい」とか「夢を叶えたい」といった“自己実現”のレベルで物事を考えています。
でも世界のどこかでは、ただ「生き延びること」すら難しい状況に置かれている命がある。
そういう現実を、まるで“自分が強い”かのように見下し、支配しようとする人間がいる。
「自分は弱い立場にある」と勝手に思い込んで、
自分よりさらに弱い存在をいじめたり、虐げたりして、
“強さの代替品”を手に入れた気になっている。
それを見ていると、本当に腹が立ちます。
僕は、そんな人間にはなりたくない。
自分の弱さや孤独を、誰かや何かにぶつけて発散するような人間ではいたくない。
ただ、自分の隣にいる犬や家族や社員たちと、ちゃんと向き合って、
目の前にある命に、ちゃんと優しくいられる自分でいたい。
そんなことを、ふと考えた朝でした。
大それたことは言えないし、全部を救う力なんてないけれど。
せめて、見てしまったものに“目をそらさない”自分ではいたいなと思います。
公益財団法人動物環境・福祉協会Eva
こんな活動も出来ませんけど、せめて署名には参加しようかなと思ったりします。